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最高裁判所第二小法廷 昭和24年(れ)1348号 判決 1949年12月24日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人伊能幹一、同小林直人の上告趣意第一点について。

論旨前段は原判決が被告人に対する本件犯罪事実を認定する証拠として採用した証人長屋スミ子、同石塚寿之の原審受命裁判官に対する各証言及び昭和二二年九月四日附鑑定人医師廣瀬永子の鑑定証言の証明力を争ひ右各証拠を採証した原審の措置を採証の法則に違背し非科学的であると論難するものであるが記録を精査してみても原審が右証人長屋スミ子の証言とりわけその犯人の同一性確認に関する供述部分を採用したことが所論のとおり採証法則に違背するものとは認め難い。尤も原判決は本件犯行の日時を單に昭和二三年八月三一日晩と判示するのみで、その時刻を明示しなかった憾みはあるが、判示犯行当時の月の有無及びその月明の程度については必ずしも所論のように相当官公署に照会してその報告の結果等によってこれを認定しなければならないというものではなく原審がその証人長屋スミ子の証言に基いて同女が犯行当時の月明りで予々顔見識りの被告人を認識し得たものと認定したことが採証の法則に違背するものとはいえないのである。そして所論の三木つや子、水野虎夫の司法警察官に対する各聽取書のごときは原審が採証しなかったところである。次に石塚寿之の証言についていえば被告人は同夜一旦帰宅後更に屋外に出た事実は明らかであり、原判決が右証言等をその挙示引用の他の各証拠と綜合して本件犯罪事実を認定したことにつき所論のような違法はない。更らに又記録を調査すると所論の廣瀬永子が強制処分手続における鑑定人として原判決摘録趣旨の供述をしていることは明らかである。しからば所論の右鑑定人に対する論旨は原審の採用しなかった同人の一審における証言に基いて立論するものであって採用に値しない。

論旨後段については、証拠調の限度は素より原審の専権に属するところであって論旨はこの点を攻撃するものである許りでなく原審の採用しなかった証拠にもとずいて原審の事実認定を非難するに帰着し採用に値しない。

同第二点について。

然しながら、原判決引用の原審における証人長屋スミ子の訊問調書中、同人の「定光さんは私の上に馬乗りになって無理に暴行しました」との供述(強姦のことを暴行とも称することは顕著な事実である)と、証人長屋竹雄の同上訊問調書中の同人の「昨年(昭和二二年)八月三一日夜十二時になるかならない頃外から母ちゃん早く起てくれ起てくれと叫ぶ声に私が目を覚ました時は家内が起きて表の戸を開けた様でした家内が出た時は娘(スミ子)はズボンを手に持って居たそうですが私が起きて行った時はそれをはいて居りましたそして服は泥だらけで髪はばらばらになりお化け見たいになって居るので何うしたのだと聞いたところ定光さんにデントコン畑に引張り込まれて無理往生されたと言って云々」の供述並びにその引用の昭和二二年九月四日附長屋スミ子提出の「コクソヂョウ」と題する書面の「昭和二二年八月三一日イシヅカサダミツサンニヤラレマシタ」との記載を綜合すれば判示の強姦既遂(即ち陰茎没入の事実)の事実を認定するに十分であるから論旨は理由がない。

同第三点について。

原判決証拠説明の長屋スミ子提出の被告人に対する告訴状とあるのは、原判決が右訴状の存在を証拠に採用した趣旨ではなく、同女の強姦の被害事実について右告訴状の記載内容全部を証拠として採用したものであることは、その判文記載の犯罪事実と相俟ってこれを窺知することができるから、論旨は理由がない。

同第四点について。

然しながら、原判決は所論の水野虎雄、三木ツヤに対する司法警察官及び檢事の各聽取書を証拠として採用していないのであるから原審が同人等に対する取調をしなかったことが、憲法第三七條第二項及び刑訴應急措置法第一二條に違反するものでないことは夙に当裁判所の判例とするところである(昭和二二年(れ)第二五三号同二三年七月一四日大法廷判決参照)。所論は独自の見解に立って原審のこの点に関する措置を違憲違法なりとするものであって論旨は理由がない。

よって、刑訴施行法第二條旧刑訴法第四四六條に從い主文のとおり判決する。

この判決は全裁判官の一致した意見である。

(裁判長裁判官 霜山精一 裁判官 栗山 茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎)

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